For Recruiting, 
新日鉄エンジニアリング株式会社:採用サイト

CORPORATE TOP

プロジェクトストーリー

一覧へ戻る

07 東京スカイツリー®プロジェクト

永山浩三 1999年入社 工学部建築学科卒

プロジェクトを受注するための活動からスタート

イメージ

入社後、工事担当者として当社では「特殊鉄構」とジャンル分けされる複雑な鉄骨造建築を手がけてきました。その中でも一番長い時間関わったのが、「東京スカイツリー®プロジェクト」です。

実は私が入社した1999年頃、ちょうど東京タワーに続くタワーの必要性が世間で話題になり始めていました。もちろん、当時は建設地すら決まっていませんでしたが、特殊鉄構に関わるからにはいずれはこういう建築物を手がけてみたいと漠然と思っていたんです。

その後、当社ではこのプロジェクトを受注するための活動が始まりました。2006年、まだ世間では「第2東京タワー」や「新東京タワー」と呼ばれていた時期のことです。私もここから本格的に参加し、思いは前例のないプロジェクトになんとしても取り組みたいという強いものに変わっていきました。

東京スカイツリー®の外周の構造は、鋼管を縦、横、斜に立体的に接合し、張り巡らせていく鋼管立体トラス構造が採用されています。このような構造は当社が歴史的に得意としてきた「特殊鉄構」であり、培ってきたノウハウを存分に活用できるプロジェクトと捉え、実現に向けて検討課題を調査することから受注活動がスタートしました。

会社の垣根を超え、チームワークが生まれていく

ゼネコンが決定したのが2007年。ゼネコンにとってはファブリケーター(鉄骨加工業者)を直接起用するという選択肢もあるわけですから、エンジニアリング会社である当社が関わる意義、得られるメリットを明確に提示していく必要があります。そこで、受注活動では、予想できる課題やその解決方法案を提示していくことで、各種課題に対してソリューションを提供できる当社の強みをアピールしていきました。

そして翌年、無事に受注が決定し、本格的にプロジェクトがスタートしました。

鉄骨製作会社はタワーを平面的に3つに分割した工区に分けられ、当社はそのうちの1工区を他社と共に担当しました。各社製作範囲は異なりますが、最終的には共に1つのものを作り上げるわけですから、各製作会社で見つかった課題や発見をシェアし、全体として改善していく必要があります。そのために鉄骨製作や設計関連の分科会が設置され、私は鉄骨製作に関わる「鉄骨分科会」で新日鉄エンジニアリングの窓口を担当しました。

分科会は1~2週に1回の頻度で開催され、設計事務所、ゼネコン、鉄骨製作に関わる各社が参加して、毎回鉄骨製作に関わるプロジェクト仕様の統一ルールを作っていくのですが、皆が「後世に誇れる、素晴らしい建物を創ろう」という強い思いを持ち、会社の垣根を越え、次第にチームワークが生まれていくのを感じました。

エンジニアリング会社としての強みをアピールしていく

社内のスペシャリストからも力を借りて問題を解決

若手の挑戦を認めてくれる社風がある

東京スカイツリー®は複雑かつ今までにないスケールの建築物だけに、これまでの手法が適用できないことがいくつかありました。課題の中でもエンジニアリング会社である当社が引き受けるべきものには率先して取り組み、提案を行いました。その1つに開先要領の提案があります。

鋼管部材同士の溶接の際、部材と部材を溶接接合する部分に設ける溝を開先と呼びますが、今回採用されている鋼管のサイズは通常使用されるサイズよりもはるかに大きく、部材同士の交差角度は通常よりも小さいため、建築学会等で規準化された既往のルールを適用するにはいくつかの問題がありました。このような事情から、開先切断面や溶接の品質を確保しつつ効率的に切断できる「プロジェクト仕様の開先規準」を考案する必要がありました。もちろん、考案した規準にて切断するための機械のプログラム開発・動作確認や最終的な溶接品質の確認も行う必要があります。この検討作業にあたり私は、当社が起用したファブリケーターや切断機械メーカーと打ち合わせを重ねながら解決に向けて取り組みました。

この開先形状を考えている時は、幾何学的複雑さに頭を悩ませながら、切断機械の動作制約や溶接施工性にも配慮しなければいけなかったので、最終的にどこに着地点を見いだせばいいのか、自分で最後まで調整しきれるか、大きな不安に駆られていました。でも、試験切りを行う直前には、「これでダメなら、もう一度考え直せばいい」という気持ちになっていました。こう思えたのは机上でとことん議論・検討を重ねてきた自負だけでなく、若手の挑戦や自分の価値基準に基づいた行動を認めてくれる当社の社風も大きいと思います。

そして、心強かったのが社内の他事業部にもこれまで特殊鉄骨を手がけてきたスペシャリストが多数いたことです。今回の開先形状の考案では海洋構造を手がける社員に貴重なアドバイスをもらいましたし、鉄骨の塗装管理要領を提案する過程では橋梁塗装を手がけてきた社員のアドバイスを得て、自信をもって社外に提案することができました。建築業界に関わらず、他部門の技術にもアンテナを張り巡らす柔軟な視点を持つことの大切さを知った貴重な経験でした。

仲間と苦楽をともにしながら仕事をできるのが魅力

今回、当社では鉄骨のベースとなる鋼管の製作から手がけました。鋼管は一番大きなもので直径2.3m、板厚100mmもの巨大なもので、今までに経験のない規模のものです。

どんなプロジェクトもそうですが、実際に工場で製作が始まると予見できなかったいろいろな課題・問題が露見します。今回も製作を開始した2008年初めから、次々に発生する課題・問題の対応に追われました。

毎週のように秋田・福岡のファブリケーター、大阪・福岡の鋼管工場等に出張し、鉄骨分科会の対応も並行するというハードな毎日でしたが、プロジェクトチームの仲間とともに乗り切ることができました。同じ思いを共有する仲間と苦しい中にも楽しみや喜びを見出しながら形に残る仕事ができることが、この仕事の醍醐味だと思います。

さらに今回は大プロジェクトで、鉄骨製作に関わる他社との協調も意識する必要があり、これは私にとって初めての経験でした。各社のすばらしいメンバーと仕事ができたことは財産であり、大きな自信になりました。

鉄骨の製作が進み、現場への搬入も順調に進んで地上200mに到達した2009年秋、私は人事室の採用チームに異動になり、後輩にバトンを託しました。そして2010年9月、当社の製作担当範囲は無事終了しました。

イメージ

今は建築・鋼構造事業部に戻り、特殊鉄構の設計者として新しいプロジェクトに取り組んでいますが、スカイツリーを見るたびに当時を思い出します。このプロジェクトで、私は改めてとことん粘って調べ、考え、諦めずに最適解を追及していくことの大切さを学びました。

最近、6歳になる子供に「お父ちゃんはスカイツリーの仕事をやったんだよ」と言うと、目を輝かせて驚いてくれました。ものづくりをしている人間として、とてもうれしい瞬間ですね。

一覧へ戻る